自分はもっとやりがいのあることをしているべきでないか、
4000週間をもっと有意義に使うべきでないか、
楽しく過ごした後も、人生はもっと素敵な経験に満ちているべきでないか、
現代はそんな疑問に対する答えを欠いているように思える。
宗教はかつてのように普遍的な生きる意味を教えることができないし、
消費主義は人生の意味とはかけ離れた方向に僕たちを誘導していく。
そもそも人生の意味について、今ここにある人生をなんとかしなくては、という視点を持つこと自体どうかしている。いま自分が生きているこの瞬間以外には、どこにも人生の意味など存在していないという事実を、受け止めなければならない。

「宇宙的無意味療法」という考え方が、とても気に入っている。
やるべきことが大きすぎたり、解決できそうもない悩みに苛まれている時、少しズームアウトしてみれば、すべてはちっぽけな問題に見えてくる。ほとんどが無に近い。日々の不安や悩み事・・人間関係、出世競争、お金の心配など宇宙から見れば全くどうでもいいことだ。宇宙規模で自分がいかにちっぽけかを実感した時、身軽になった気がしてならないだろうか。
自分のことを宇宙の中心的存在と勘違いしている事実。あらゆることを自分の視点から判断してしまう傾向は誰にでもある。
自己中心的な視点は、進化の過程では生存・生殖に必要なものでもある。
しかし、自分の存在を過大評価すると「時間をうまく使う」ことのハードルがありえない程高くなってしまう。
誰が見ても圧倒されるような業績や、後世に永続的な影響を与える成果をだすことができなければ、時間を無駄にした気がするのだ。
そこで、
あなたが宇宙をへこませることのできる可能性はゼロであり、宇宙規模の視点で、自分が無価値であることに気づいた時、ほっと安心できるのは当たり前だ。
非現実的なハードルから解放された時、限りある時間を有意義に使う方法は今までよりもずっと多様な可能性に開かれる。今やっていることに思ったよりずっと意味あることが見つかるかもしれない。
たとえ、一流シェフになれなくても、子どもたち栄養あるバランスのいい食事を用意することは、何にも代えがたい行為だ。
たとえ、トルストイのような後世に残せる名作を書けなくても、同世代の一握りの人を楽しませたり、少しでも影響を与えられたら小説を書く意味はある。
どんな仕事であれ、それが誰かの状況を少しでも良くするのであれば、人生を費やす価値はある。
これまでの話を要約すると、以下になる。
「並外れたことをやろうという抽象的で過剰な期待は、きっぱり捨てよう。そんなものにとらわれず、自分に与えられた時間をそのまま味わったほうがいい。
宇宙を動かすという神のような幻想から地面に降り立ち、具体的で有限な・・そして案外すばらしいこともある・・人生を、ありのまま体験しよう」
yama31.hatenablog.com