人生後半の50代になって、改めて、今、振り返ってみると、子どもの頃、学生の頃は、親の教育方針・そして自分自身の意志が自然とリンクして「目的志向」に捉われ過ぎていたと感じざるを得ない。


幼稚園では小学校の準備、小学校では特に高学年で中学校の準備、中学校では高校の準備、高校では大学の準備、そして大学ではビジネスの世界など、まともな社会人になる準備をしてきた、というか、疑問を持たずに当たり前のようにやってきた。
自分に一人息子ができた際、40歳目の前に出来た自分にとって遅い子で、一般に、うちは他より裕福だから、他の子より習い事など教育で質・量の共に常にアドバンテージがあるので、秀でた才能を見つけ、伸ばしていきたいと常に明るい「将来」を見据えるという「目的」のために、親子楽しみながらも、心血を注いできた。
「親子楽しみながら」という評価を付すことができるので、結果的に救われるのだが、冷静に振り返って思うのは、「目的志向」の人間は、常に自身の行動の利害を「未来」へと先延ばしすることによって、行動の不死性という幻想にしがみついている。
そうやって先送りしていれば、自分がやっていることの意味を今ここで「清算」する必要はなくなる。
まだ何も確定していないのだから、未来に無限の期待を抱くことができる。
果たして、これでいいのだろうか?「今」を生きているのだろうか?
時間がすべて何かの手段になってしまい、今「この時」の価値が失われてはいないだろうか?
では、人生の目的は何か、本当の「今」を生きているという充実感を得るためには何が必要か。
これらをテーマに、人生楽に生きるヒントを探るべく、「今」考えていることを深堀していきたいと思います。