続き・・
恋愛には、友愛や母性愛には見られない「排他性」がある。
これは、しばしば所有欲に基づく執着だと誤解されている。
「愛し合っている」ふたりが他の人には目もくれないということはよくある。実は彼らの愛は利己主義が二倍になったものに過ぎない。ふたりは互いに相手に自分を同一化し、ひとりをふたりに増やすことで孤立の問題を解決しようとする。それによって、彼らは、孤独を克服したと感じるが、彼らふたり以外の全ての人から孤立しているので、依然として互いに孤立しており、自分自身からも疎外されている。
ふたりが味わう一体感は錯覚に過ぎない。
恋愛において、人は相手を通して人類全体、さらにはこの世に生きている者すべてを愛する。恋愛は、ひとりの人間としか完全に融合することはできないという意味においてのみ、排他的なものである。
恋愛は、性的融合、すなわち人生のすべての面において全面的にかかわりあうという意味では、他の人に向けられた愛を排除するが、深い友愛を排除することはない。
恋愛には、もしそれが「愛」と呼べるものなら、前提がひとつある。すなわち、自分という存在の本質から愛し、相手の本質とかかわりあうということである。
「愛」は、本質的には、意志にもとづいた行為であるべきだ。すなわち、自分の全人生を相手の人生に賭けようという決断の行為であるべきだ。
誰かを愛するというのは、たんなる激しい感情ではなく「決意」であり、「決断」であり、約束である。
以上「恋愛」でした。
~次回「自己愛」についてです。目から鱗の言葉でいくつも出てきます。
